いってきます
いってきます・おかえりなさい
「いってきます」と、家から出かける人もいれば、「いつてらっしやい」と、見送る人もいます。また、「ただいま」と帰った人を、「おかえりなさい」と迎え合います。そんな家庭があることは有り難いですね。ところで、この「いってきます」「いってらっしやい」を漢字にすると、「往来」とはならないでしょうか。仏教では「往くと来る」をセットこして「往ったり来たり」の世界を説きます。この往来は単に家庭生活、社会生活を表現するにとどまりません。私たちの生死も往来に他なりません。お取迦さまは、この娑婆を八千返も往来なさいました。
生まれたり死んだりすることが往来なのですが、「往」なのか「来」なのかは、見る角度によって違います。私たちは何となく、死んでこの娑婆を去るのが「往生」だと思っています。でも仏さまの方から見れば、つまりあの世から見れば、「往って来っしやい」と送り出した人が「往って来ました」と、「来生」したことになります。「おかえりなさい」と、仏さまは私たちを迎えてくださるのです。
そうです。私たちはこの娑婆世界へ趣くにあたり、仏様に見送られて送り出されております。だから、耐え忍びながら娑婆での修行をし、救済活動を果して、「ただいま」と言いながら、仏の国へ帰れるような生き方を続けなければなりません。
お葬式でのお位牌に「新帰元」と書き添えられているのを、お見かけになったことがあるでしょう。新たに元に帰ったということです。娑婆での修行・活動を終えて、仏の国へ帰還なされたということですね。私たちは何のために生まれ、何故に死んでゆくのか。私たちにとって生死はこわいものですが、この往来観を得、これを信じれば、もう何もこわがることはありません。
仏さまの教えに従って生き、生を終えて帰った時、娑婆でのことを胸を張っ報告できるようにしたいものです。