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静岡、納骨堂・永代供養「十如是」

2020/09/28

方便品十如の解説(信徒用)
仏様が法華の会座を開かれた最初        

遠藤是妙師述 斎藤見是師記

第一の説法で、一切の人を仏にする大事な考え方の根本になるお話です。それには諸法の実相を究め尽くすということです。問題は諸法と実相と二つになりますが、一つのものの二面の見方、考え方と存じます。それ故説明は二つになります。今の十如は「所謂諸法如是相云々」とて諸法の説明になります。世界中どんなものでも十通りのものを具して居てそれが、どんなものにも共通しているのが「如」ということなのです。今お菓子の饅頭を「十如」のお話としますと、
円くて甘そうな姿が                 「相」
甘くて柔らかで口当たりがよいのが          「性」
饂飩粉と小豆と砂糖がまじったのが          「体」
投げても圧へてもつぶれないでいるのが        「力」
食べるとお腹がふくれ力が出るのはその働きで     「作」
粉とか砂糖とか小豆とかふくらし粉とか水のようなものが「因」
お菓子屋さんがそれを上手にこね合わせて拵えるのが  「縁」
いよいよ出来上がった処が              「果」
いつ何処で食べても人の食指をそそる処は       「報」
一番始めの「相」もおしまいの「報」も一つの饅頭から離れたものではありません。その内どれが欠けても満足の饅頭にはなりません。されゆえ「相」から「報」までの九つは何れも同様で一つのものだというのが本末究竟等というのです。これは私共人間の上でも畜生でも品物でも、どの一つをとって見ても因縁果報等のないものはありません。勿論相体力作のないものはありません。斯様に十通りのものは共通してかわりがありません。故にこれを十如と申すのであります。   つづく