BLOG

静岡、納骨堂・永代供養「病院で」

2020/09/10

また、日本の病院などで4とか9とかの数字を嫌い、西洋では13を忌むが、洋の古今東西を問わず、死を嫌い、なるべくなら避けて通りたいと思っているのではないでしょうか。
 例え病気になってもそれに伴う数々の苦悩は痛感しても、死の問題としてとらえる人は少ないのではないでしょうか。
また、親、兄弟、友との死別も重ねて愛別離苦の悲しみは感じても、自分が死ぬことをあんまり考えようとしない、多くの方がそう思っていると思います。
 ところが!重病でもしようものなら、さすがに死というものが自分の問題となる。
でも、この生きている時に死ということに出会うことによって自分の執着心や思いが破れて、そしてそのことが逆にそこから充実した人生を見つめ直すという事のできる機縁になるということはあります。
 医療の進歩によって延命をはかるということは大変大事なことではあります。医学療法のさらなる進展にも期待もしたいところではあります。ところが、それだけでは充実した人生にはならないし、充実した生を生きていくこともできないわけです。充実した生がなければ満足した死を迎えるなどということもできないわけですこの世に生を受けたものは一〇〇%の確率でこの世を去らなければならないように出来ているのです。ですから私たち僧侶も常に尊厳された死と言うモノがどうあるべきモノか研究・研鑽している訳です。最近ではこれに脳死の問題も含まれいよいよ生の価値、死の基準が難しくなって来たように思います。