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静岡、納骨堂・永代供養「誓願」

2020/06/23

しあわせ説法を要約すれば次の三つになるのではないかと思います。
第一には、人生の師、導きてを持っている人は幸福であるということです。『諸々の愚者に親しまないで諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人を尊敬すること、--これがこよなき幸せである』と説かれてあります。尊敬すべき正しい人生観を持っている人に親しむことですね。これは、いわゆる先生といわれる人でなく、親や、兄弟や、友人であっても、あるいは秀れた先人の書物でも良いわけでありましょう。もし、お釈迦さまを尊敬し信じて、その教えに従うという心をおこすならばその人はお釈迦さまを人生の師と仰ぐことができるのであります。
第二には、みずから正しい誓願をおこしている人は幸福のひとである、と説かれてあります。自分の人生で努力すべき正しい目標を持つことですね。心に努力すべき目標、誓願がないと、その日ぐらしにおちいって、遂には不平不満、愚痴の人となります。たとえば、一家の主婦として家庭をつくる、よい子を育てる、世間に少しでもお役に立つことをしたい、事の大小を問わず、その人にふさわしい努力目標を持っている人は、不幸や災難の連続でも決してくずれることの無い強い支えを持つことが出来ます。ここに正しい誓願というのは、利己主義でなく、自分も他人もそれで益する、為になるという精神が含まれていることです。
第三には、自分を信じ、自分を生かすことに努力している人は辛福なひとであると、説かれてあります。仏教の幸福観は、富や健康などの万人にとってのぞましい状態を決して否定したり無視するのではありません。ただ部分的に追いかけて血眼になる愚かしさを避けるのです。もっと根本的に、人間はいかに生きるべきかという生き方、生活態度に幸福の扉を発見しようとするのであります。
つまるところ、どうしたら幸福になれるかということは、幸福はそれを目的として探し求めるべきではなく、よき生活態度、一生懸命に生きることから結果として恵まれるものであるということでしょう。
善(よ)きことを作(な)すものは
いまによろこび
のちによろこび
ふたつながらによろこぶ
「善きことをわれはなせり」と
かく思いてよろこぶ
かくて幸ある行路(みち)を歩めば
いよいよこころたのしむなり

当山彌勒の丘・納骨堂・永代供養塔は幸せの供養が整っております。安心して来山ください。