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静岡、納骨堂・永代供養「諸法無我」

2020/06/14

諸法無我(執着しないということです)執着を呼ぶものが「我」であります。私たちはながれいく「もの」あるいは「こころ」を我がものとして執着する。それゆえ苦の世界を作り出してくるのです。一切が無我であるとは我と我がものと思えるものは何もない。すべてが「われ」を離れて因縁によって移り変わるものであるという自覚です。
人間の苦悩や争いの原因はみな欲であります。人間は誰しも欲のないものはありません。けれどもその欲をほしいままにすれば、俺が俺がの貪欲となってあげくは互いに憎しみ争うことになります。
ところが、その欲の対象である財産も、地位も、名声も死ぬときには全部この世においてゆくのであって、生きている間はあずかっているだけであります。ののしった人もののしられた人も、儲けた人も損した人もみんな消えていくのです。
そこの道理を諸法無我(一切は所有できない)とさとることが「有為の奥山今日こえて、浅き夢みし酔いもせず」ということになります。

一方、現状から変化、とくに悪くなることばかりを考えて不安を抱く人もいます。これも諸法無我の考え方では心の平穏を乱すものです。「現状の地位や生活から転げ落ちるのではないか」といった不安だけではなく、「誰かに成功を妬まれて貶められるのではないか」「誰かに追い抜かれるのではないか」といった猜疑心もあります。そんな不安や猜疑心を取り払うためにも「物ごとは必ず移り変わる」ということを心に留めておけばよいのです。将来が良くなるか悪くなるかは誰にもわからないことです。今よりもっと良くなることだってあるでしょう。それなのに悪くなるイメージばかり持ってしまうのは、今までの自分がそう思ってしまうような行動してきた結果かもしれません。自分のこれまでの行動を振り返り、反省すべき・改善すべき点があれば実行しましょう。そういった行動が「新たな繋がり」となってあなたの未来を変化させていくのです。

当山彌勒の丘・納骨堂・永代供養塔は我を忘れる事の出来る道場です。是非ご参拝下さい。