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静岡、納骨堂・永代供養「氣もちの問題」

2019/10/10

「気持ち」について。気持ちといえばこれまでは気とかくけれど元々は氣と書いていたとのこと。じっと見てどっちが美しいかといえば「氣」ですよね。書きやすさでは間違いなく「気」の方だけれど。どちらが勝れているかといえば直ぐ解ると思います。
気だと心と意識が〆られて外に出られない。氣は四方八方へ飛び出す力強い表現が見てとれます。
米って字がまたいいではないでしょうか。米の持つパワーは如何なものかと考えると、田植えをされた苗が太陽光と梅雨をふんだんに浴びて食物となるお米。凄いパワーを持っている米を戴いている。  それと比べて「病気」って字を見ると、気が閉まっているから病になるのではないだろうか。病は気からなどともいうのはこの事だろろう。大きな氣をもって生きよう。

氣持ちで米パワーに触れたら、迷うってのはどうなっているかと聞かれて困った。困りながら考えると、迷うほど沢山の道があって八方に分かれているのだろうか。米で説明すると「場所・田、土、人、空気、太陽光、水、苗、微生物など」要らないモノ1つ上げなさいと言われても、無いでしょ迷うでしょって答えるしかない。苦しまみれ迷ったあげく米ってしまった。

現在お墓をもっていなくて迷っている人はかなりの数があると思う。今までの高級な外墓、昭和時代はそれを持つことが一種のステータスのようにも感じられていた。ところが平成時代に進んでくると、お墓は相続したくないと変わってきてしまった事実。当山のお墓は核家族墓なので相続もいたしません。室内墓地、永代供養塔を供えてあります。迷わずに氣を確かめてお求めください。