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静岡、納骨堂・永代供養「どうしようもない」

2019/08/17

 地震大国の我が国が地震に対して対策を怠ることはないけれど、それ以上の地震被害が起こる事をみても解るように、常日頃から地震に対しては気を付けてはいたと思う。しかしそれにしてもいざとなるとどうしようもないのが解る。ましてや最初のが本震だと思っていたところ、前のは余震で次ぎのが本震だということもある。この際余震も本震も関係なく地震は地震として受けとめるべきであろう。
 山崩れのあおりで家が破壊され亡くなる方の事を思うと、哀れで不憫で泣けてくる。また何万人を超える人々が避難する事を思っても、厳しい生活をしなければならない苦痛が可哀相でならない。何しをしてやれるかと言うと亡くなった方への回向と復興を祈る祈願しかないと思う。毎朝のお勤めの祈願回向ではもっぱらこれしかない。
 加藤清正の熊本城は築400年が過ぎて立て替えも検討していたらしい。あの時の被災の無惨な姿は痛々しい記憶は消えやしない。かつて日本を護った歴史あるお城、HP見るとイベント組んであったらしく痛々しいことも覚えている。
 とまれ人の命・心・作り上げた物・自然などに対して、すべてが「あるがまま」どうしようもないものはどうしようもないのである。これを思うと、諦め感ばかりが先行するがそうではなく、「明める」あきらめるのである。いい意味での「どうしようもないものはどうしようもなく」いたいもの。
 お骨をどうしようもなく自宅においてあるという話を聞くにつけても、これについてはどうしようもできる。当山の室内墓は永代供養塔に接続されている、現代に適合した素晴らしい納骨堂です。