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静岡、納骨堂・永代供養「仏、われにあり」

2019/07/12

大乗仏教では、個体としての我(人我)だけでなく、存在を構成している要素の実体(法我)をも否定して人法二無我を説き、全てのものが無自性であるとする。 
部派仏教における究極的な涅槃は、全てのものが無常・苦・無我で不浄であると悟って煩悩を滅し尽くした境地であるとされたが、大乗仏教では、全てのものがもともと空であることを悟った涅槃の境地は絶対的な自由の境地であり、常・楽・我・浄の徳をもつとする。ここにおける我は、凡夫の考える小我と区別され大我や真我といわれる。 
 そもそも仏教では何宗に限らずお釈迦様が本元です。印度の釈迦族の王宮に生まれた王子が、後に仏陀と仰がれるようになります。釈迦牟尼如来とも呼ばれ、仏になる教えを残され、私達の生きる為のお手本になります。
 仏性(仏心)は誰でも供えてあります。それをどのように捉えるかは人それぞれでありますが、そこに修行があります。修行には様々な行があります。我々僧侶はとくに、 法華経法師品に説く仏道の師としての五つの行がありのす。受持じゅじ・読経どきよう・誦経ずきよう・解説げせつ・書写が基本となります。坊主を志してから生涯終えるまで、永遠に続けて行います。
 基本的な要素は生老病死を乗りこえられる精神・心を持つことです。人はだれでも一刹那の間に之を覚ることは誰でも出来ますが、長い間保ち続けることは非常に困難です。そのために行があります。故に「もうこれでいい」という行はないのです。
 日常的に行う日々の読経・唱題が一番の行と言っても過言ではない。己の心をしっかりと保ち、仏様に命を献げることです。仏性は誰でももっていることは、我が成仏することです。
 弥勒の丘は修行場としてのご本尊、七福神のお奉りがあります。是非ご参拝下さい。また室内墓、永代供養塔も完備していますのでご覧ください。南無さん