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静岡、納骨堂・永代供養「昭和の葬儀(7)」

2019/06/09

昭和の葬式、自宅葬儀の場合は僧侶の控え室として隣家の一間を拝借し使用した。30分ほど前に到着して自宅へゆき仕度をする。鳴り物の銅鑼ドラ鉢ハチ(シンバル)を設置して導師席と脇僧席に座布団を確定する。再び控え室に戻り着替えると其処へ司会者が来て打ち合わせをする。弔辞が何人いて弔電の数を等を確かめる。隣保宅からやおら行列をつくりお題目を唱えながら葬儀宅へ進み着座をする。

司会者の言葉で始まりお通夜同様厳かに進む。読経・導師の引導が終えると弔辞となる。今は殆ど見かけないが、昔は原稿を持たずに思った事を辞する人が案外多かった。終わりそうで終わらない弔辞ほど聞いていて困るものはない。原稿がないとすみやかに終えることがない。

昔芝川地区では別れの杯って言う儀式があって式の前に導師と家族が一献傾けた。今でも時々あるのは縁切り餅の儀式。式中にもぐもぐ細かく切った餅を親戚中で食べるのを横目で見ながら、何故お経中にやるのか当時は理解できていなかった。普段やらないことをやるのが葬儀だと後から知った。
昭年58年前後に一時流行ったのが放鳥の儀たるものがあった。出棺時に合わせて沢山の鳩を一期に放つことだが、これは直ぐに廃れていった

昔はドラとシンバル鳴り物で賑やかに葬儀を飾った。鳴り物は魔除け(音を立てて魔を寄せ付けない、追っ払う)の儀式である。厳かの中に豪華さも供えていた。

とまれ式を終えると控えの家に行列で戻り、その後出棺の行列を組むことになる。

令和の時代、お通夜も葬儀もお寺でできます。

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