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静岡、納骨堂・永代供養「昭和の葬儀(4)」

2019/05/31

通夜の開始時刻は、平成になると午後6時が基本となったが、仕事帰りにも通夜に寄ることが出来る時間として、昭和の通夜は午後7時からが多く基本設定だった。先ずみんなで夕食を済ませてから始めるパターンが多く、書き物してからみんなが食べ終えた後のお膳に座らされて戴く。(1)にも記したが大概この時の食事は意外と美味しかった記憶がある。何処でも名人が責任者になるので美味しい

自宅に祭壇を作ると部屋の半分はそれに取られるので、昔の家の作りだと二部屋続きの間取りが多く、葬儀が出来ても充分応えられる家作りだった。されど、会葬者は全員家の中には収まらず、殆どの会葬者は外のテントにパイプ椅子を並べて其処から拝むパターンで、天候に左右されやすく、大雨や極寒にあってしまうと大変であった。
小さいお宅でも同様で部屋間取りの都合で家族だけが家の中で、その他は全部テント付近へ集合する形態をとっていた。大きな農家へゆくと祭壇と生花を並べても余裕のお宅も多々あったが、今は無理でとても出来ることはない。家の建築では葬儀をだせる家を作ることが基本であった。

家の中に作られた式場の内側には白黒の幕が張り巡らされる。これで家の中の見せたくない部分を隠す作用もあった。お棺の置き方は頭の方を北に向ける事は変わりはないが、昔は自然界の北に従って置いていたが、気泡的には御本尊を中心とした北の位置なので、釈尊涅槃像の如く何処に祭壇が作られても必ず頭が左に来るようにするのが望ましい。