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静岡、納骨堂・永代供養「昭和の葬儀(3)」

2019/05/28

葬儀の仕度には書き物が沢山あった。今はお寺で書くけれど昔は自宅で書した。今でこそまともに字を書けるが、成り立ての頃は下手そのものであった。何故自宅で書くかというと墓標ぼひょうと言うモノがあり大きく移動が大変だったから。そもそも墓標とは文字の如く墓を表す卒塔婆であり、別名角塔婆かくとうばともいった。
上から見ると、■四面とも20㎝高さ3㍍のものもあった。善光寺ご宝前に立っている卒塔婆と同一のものだと思えばよい。真っさらの杉などを材木屋さんで上記のように皮を剥いてサイズ通りに拵える。この墓標角塔婆の大きさでステータスを競うみたいなのが存在した。葬儀当日埋葬した時に「こりゃ、すげーや」みたいに太く高いほど注目を浴びた。という時代であった。墓標と言うのはそもそも墓なのだから墓石があれば不要なのだが、当時はそうする事が亡き父母への親孝行だった。長老の翁が指南がそうさせていた。

通夜まえに墓標に墨で書することになるが、隣保班の男衆が墓標を扱うので手伝いで見ている。新米の僧侶は手が震える。力を抜くように思えば思うほど叶わない。角塔婆なので四面を総て記入するのだが、まず最初一面にお題目と法号(戒名)を書く。墨をたっぷり付けて筆を走らせる。その行を書き終える頃、男衆の誰かが「流石、おっさんうみゃな~い」とあいのてが入る。「いい字書くら」などと既に酒を引っかけた兄さんが冷やかすのである。
もちろん冷や汗タラタラ。お世辞にも上手とは言えないデビュー初書きの記憶が残る。その下手な墓標は時には何年も墓地にほったらかしにされるので、何時までもさらしモノのように置かれる事となる。苦い経験のお陰で今がある。

その他は今でもある位牌旗などのもの。総て書くのに小一時間掛かったが、今は30分あれば書くことが出来る。                               あなかしこ